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落語で『明烏』という演目がございます。

堅物の時次郎。「遊びも知らない世間知らずでは困る」と時次郎を心配した父親は、札付きの遊び人・源兵衛と多助に時次郎を吉原遊郭へ連れていくよう頼みます。
吉原へ入った時次郎、ようやくここが遊郭であると気づいたときには時遅し。源兵衛と多助に「大門を勝手に出たら袋叩きにされるよ」と脅され、泣く泣く遊女と一晩を過ごします。
しかし一夜開けた朝、源兵衛と多助が時次郎の部屋をのぞきにいくと、すっかり満足している時次郎。そして花魁も足をからませ時次郎を離そうとしません。
先に帰ろうとした源兵衛と多助に、時次郎が一言。
「大門で袋叩きにされるよ」

……『明烏』の簡単なあらすじとしては、こんな感じでしょうか。「時次郎、はじめての吉原遊郭体験」という内容ですね。実はこの『明烏』、当時の吉原遊郭の様子がちらほらうかがえます。

 

「振られちまったよ」吉原遊郭にあった “廻し”

花魁_廻し

源兵衛と多助は “振られ” てしまいます。
“振られる” とは、遊女に相手にされないこと。当時の遊郭では、「廻し」といって遊女が一晩に二人以上の相手をすることがありました。しかし、忙しいときや遊女が乗り気でないお客だったりすると、夜の相手をしないということも。お金を払ったにも関わらず、なにもできないなんて……!

そこまでを含めて、吉原遊郭の愉しみだったのでしょう。

 

いまなお残る「見返り柳」

1846_Yoshiwara_map

吉原遊郭の入り口にあったのが「見返り柳」。こちらの地図ですと、右側に上下逆さになって描かれていますね。
時次郎は「お参りにいこう」と連れられてますから、源兵衛と多助も見返り柳に興味を持つ時次郎に対して「これは神木だ」と嘘をつきます。

見返り柳。それは、遊女と楽しんで遊郭を出てきた男が振り返る場所に柳があったため、その柳を「見返り柳」と呼ぶようになったそう。吉原遊郭自体はなくなりましたが、いまでも見返り柳は残っています。

それがこちら。

はい、Googleが撮影したときは葉がなくなってますが、いまなお現存しております。
浅草方面へお越しの際は、ぜひご覧になってみてください。

 

「大門」吉原遊郭への唯一の出入り口

吉原

時次郎を脅した「大門を勝手に出たら袋叩きにされるよ」というセリフ。
大門が、吉原遊郭への唯一の出入り口でした。遊女の逃亡を防ぐといった目的もあったため、必ずしも勝手に出たら袋叩きにされるというのは嘘ではなかったわけですね。ただ、お客である男は出入りできるため、もちろんその通りではないのですが。

そんな大門。明治44年に起こった吉原大火で門柱だけを残して焼失。大正12年にも震災によりなくなってしまいました。
見返り柳を実際に見にいったら、「この辺りに大門があったのかな」と思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

 

おわりに

ちなみに、吉原大火を題材にした映画『吉原炎上』がなかなか面白かったです。明治末期の花魁たちの物語りを艶やかに描いています。

▼こんな記事も書きました

Written by ナッツ {NUTS} 永田優介
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アリスわからない.002
 

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